岸谷五朗が部下との不倫に溺れる主任を演じた映画
『夜明けの街で』のラストシーンは、新橋駅前の広場だった。
喪失感から放心したように立ちすくむ彼の周りを多くの通勤
客が通り過ぎる。もちろんすべてエキストラだが、実際に収
録した朝に多くのリアルなサラリーマンを見たそうだ。
「電車が着くと、改札からどっと人があふれてくるんですよ
ね。どこの駅もそれは同じですが、新橋の場合はほとんどが
会社員という感じがしました」
確かに、東京でサラリーマンの代名詞となる駅といえば、有
楽町でも品川でもなく新橋だろう。ほかでは学生や主婦もそ
れなりにいるものだが、新橋ではスーツにネクタイの男性の
割合が圧倒的に多い。情報番組の街頭アンケートで、昼であ
れば移動途中、夜であれば赤ら顔のスーツ姿にレポーターが
マイクを向けるのはこの駅前広場になる。
<AERA STYLE MAGAZINE>
かつて、新橋駅近辺には多くの靴磨き職人がいた。最盛期には20人
を超えていたという。終戦後から高度成長期以前、日本の道路は都
心であっても舗装が不完全なところが多く、革靴はすぐに汚れた。
そのまま得意先には行けない。そんなとき、駅前に列を並べる靴磨
きの職人は頼りになる。世間話をしながら、短い時間にピカピカに
磨き上げられた靴に元気をもらい、次の会社へと向かっていった。
「僕自身はいろいろなアルバイトをやってきましたが、サラリーマ
ンの経験だけはないです」と笑いつつ、岸谷はこう続ける。「こう
いう人たちが日本を支えてきたんだな……と思いましたね」
道はきれいに整えられ、靴はぐっと品質が良くなった。同時に他の
エリアと同様、新橋でも靴を輝かせる職人芸を見ることはほとんど
ない。だが、再開発を数年後に控えた駅の近辺は、まだ前世紀の薫
りを残している。
「誰もが仕事に向かう苦しみを抱え、でもそれゆえの強さを持って
いる。僕とは真逆のキャリアなんだけど、勇気をもらえます」
焼け野原となった日本を復興させたのは、まぎれもなく靴の底を擦
り減らして歩く男たちだった。昭和から平成、そして次の元号へと、
駅を通りつづけるその心意気はきっと受け継がれてゆく。
<新橋とは?>
港区のなかでは最も中央区に近いエリアであり、埋め立てられてい
まはない汐留川にかかっていた橋がその名の由来。明治5年に鉄道
が横浜との間に、同15年に日本橋まで馬車鉄道がそれぞれ日本初
で敷設されるなど、公共交通機関による発展の嚆矢(こうし)と
なった。大正期まではさまざまな町名があったが、関東大震災後の
区画整理でその多くが廃止され、「新橋」の名で1丁目から7丁目
まで統一された(現在は6丁目まで)。現在、駅前の広場には鉄道
発祥の地を記念して蒸気機関車が置かれ、ビジネスマンの待ち合
わせ場所として格好の目印になっている。
<訪れた店>
靴みがき本舗
新橋駅前ビルにある新しい形態のシューシャンサービス。若い職人
たちの丁寧な仕事ぶりには定評がある。希望に合わせて仕上げのメ
ニューもさまざま。八重洲地下街、浜松町駅近く、ホテルニューオ
ータニなどのホテルなど、ほか4店舗でもサービスを提供。また、
隣にある新橋駅前ビル1号館には修理も行う姉妹店「シューシャイ
ン東京」が入っている。ケア&シャイン¥2,160〜
東京都港区新橋2-21-1 新橋駅前ビル2号館B1 03-3572-5177
営業時間 月〜金10時〜21時 土10時〜18時 日休
http://www.kutsumigakihonpo.jp/